環境負荷を減らす緩効性肥料・被覆肥料の活用:効果的な選び方と導入のステップ
導入:環境負荷低減と施肥効率化の両立を目指して
長年農業に携わってこられた皆様にとって、栽培管理における施肥作業は欠かせない工程の一つです。一方で、肥料成分、特に窒素やリンの過剰な施用は、地下水や河川への流出による環境負荷増大の原因となることが指摘されています。また、追肥作業は多くの労力を要する課題でもあります。
こうした背景から、近年注目されているのが、緩効性肥料(ゆっくりと効果が持続する肥料)や被覆肥料(肥料成分がコーティングされた肥料)の活用です。これらの肥料を適切に使用することで、作物の生育に必要な期間にわたって安定的に養分を供給し、肥料成分の流出を抑制することによる環境負荷低減と、施肥回数の削減による作業効率化の両立が期待できます。
この記事では、緩効性肥料・被覆肥料の仕組みや環境負荷低減への貢献、導入のメリット・デメリット、そして具体的な選び方や導入手順について解説します。新しい肥料の導入に不安を感じている方も、持続可能な農業への一歩として、ぜひ検討材料としていただければ幸いです。
緩効性肥料・被覆肥料の仕組みと環境負荷低減への貢献
緩効性肥料や被覆肥料は、従来の速効性肥料とは異なり、肥料成分が一度に溶け出すのではなく、時間をかけてゆっくりと作物に供給されるように設計されています。
技術概要
- 緩効性肥料: 肥料成分そのものの性質や、製造工程で物理的・化学的な処理を施すことにより、土壌中での分解や溶解速度を遅くした肥料です。微生物の働きによって分解される有機質の緩効性肥料や、化学的に安定した形態にした無機質の緩効性肥料などがあります。
- 被覆肥料: 肥料成分(主に速効性の化成肥料など)の粒子表面を、樹脂や硫黄などの素材でコーティング(被覆)した肥料です。この被覆材を通して、土壌中の水分や温度に応じて肥料成分が徐々に溶け出します。被覆材の種類や厚みによって、溶出期間を数週間から数ヶ月、あるいはそれ以上に制御することが可能です。
環境負荷低減への貢献
これらの肥料を使用することで、主に以下のような環境負荷の低減が期待できます。
- 肥料成分の流出抑制: 特に窒素肥料は、土壌中で硝酸態窒素に変化しやすく、過剰に存在すると降雨などによって地下水や河川に流出し、水質汚濁(硝酸態窒素による飲料水の汚染や富栄養化)の原因となります。緩効性肥料や被覆肥料は、肥料成分の溶出速度をコントロールすることで、作物が養分を吸収できる期間に合わせた供給が可能となり、作物に利用されずに土壌中に残存し、流出する成分の量を減らすことができます。
- 温室効果ガス(亜酸化窒素)発生抑制の可能性: 土壌中の硝酸態窒素は、特定の条件下で微生物によって分解される過程で、強力な温室効果ガスである亜酸化窒素(N₂O)を発生させることがあります。硝酸態窒素の土壌中での急激な増加を抑えることで、亜酸化窒素の発生量を抑制できる可能性が指摘されています。
- 資源(化石燃料由来の原料)使用量削減の可能性: 適切な設計に基づき使用することで、従来の肥料体系よりも総施肥量を削減できる場合があります。これにより、肥料原料の生産や輸送に伴うエネルギー消費や温室効果ガス排出の抑制につながる可能性があります。
導入のメリットとデメリット
緩効性肥料・被覆肥料の導入を検討する際には、メリットだけでなくデメリットも理解することが重要です。
メリット
- 施肥回数の削減・省力化: 肥料成分が長期間にわたって供給されるため、追肥の回数を大幅に減らす、あるいは全量基肥として済ませることが可能になります。これにより、労力や時間を要する施肥作業の負担を軽減できます。
- 作物の安定生育: 作物の生育ステージに必要な時期に、安定的に養分を供給できるため、生育初期の肥効不足や生育中盤以降の肥切れを防ぎ、生育が安定しやすくなります。
- 収量・品質の安定: 養分が安定供給されることで、作物の健全な生育が促進され、結果として収量や品質の向上・安定につながることが期待できます。
- 環境負荷の低減: 前述の通り、肥料成分の流出抑制による水質保全など、環境への負荷を軽減できます。
デメリット
- 初期コスト: 一般的に、緩効性肥料や被覆肥料は、同量の肥料成分を含む速効性肥料に比べて単価が高い傾向があります。初期導入コストが課題となる可能性があります。
- 溶出制御の難しさ: 被覆肥料の場合、肥料成分の溶出速度は土壌水分や温度に大きく影響されます。気候変動などにより栽培期間中の温度や水分条件が想定と異なると、肥料成分の溶出が遅すぎたり早すぎたりするなど、計画通りの肥効が得られないリスクがあります。
- 適切な製品選定の難しさ: 作物の種類、栽培期間、土壌の種類、地域の気候などに合わせて、最適な溶出期間や特性を持つ製品を選定する必要があります。多種多様な製品があるため、選定に専門的な知識や情報が必要となる場合があります。
- 残肥のリスク: 栽培期間よりも溶出期間が長い製品を選択した場合や、想定より早期に栽培が終了した場合などに、肥料成分が土壌中に残存し、後作に影響を与えたり、結局流出につながったりするリスクがあります。
具体的な導入事例や手順
緩効性肥料・被覆肥料の導入を成功させるためには、ご自身の圃場や栽培体系に合わせた計画的なアプローチが必要です。
導入検討のステップ
- 現在の施肥体系と課題の評価: 現在どのような肥料を使用し、どのようなタイミングで施肥を行っているかを確認します。施肥作業の労力、肥料コスト、収量や品質の変動、土壌診断の結果(残存肥料成分の量など)から、改善すべき課題を明確にします。
- 導入目標の設定: 緩効性肥料・被覆肥料の導入によって、何を達成したいかを具体的に設定します。「追肥作業をゼロにする」「年間施肥量を10%削減する」「生育期間中の施肥回数を〇回減らす」「特定成分の流出量を〇〇%削減する」など、目標を定めることが、製品選定や効果測定の基準となります。
- 情報収集と製品選定: 目標達成に合致する特性を持つ緩効性肥料や被覆肥料についての情報を収集します。
- 溶出期間: 栽培期間に合った溶出期間の製品を選びます。全量基肥とする場合は、作物の全生育期間をカバーできる製品が必要です。
- 肥料成分組成: 作物が必要とする窒素、リン酸、カリウムなどのバランスを確認します。
- 溶出特性: 温度依存性が高いか低いか、水分によってどう影響されるかなどを確認します。
- 製品の形状と施肥方法: 粒状か粉状か、手撒きに適しているか機械施肥に適しているかなどを確認します。
- 地域の成功事例や専門家の意見も参考にすると良いでしょう。普及指導センターや肥料メーカーの担当者から情報を得ることをお勧めします。
- 小規模での試験導入: いきなり全圃場に導入するのではなく、一部の圃場や作物で試験的に導入してみることを推奨します。従来の施肥体系区と比較することで、効果や課題を具体的に把握できます。
- 施肥設計の見直し: 試験導入の結果や製品の特性に基づき、施肥量や施肥方法(全量基肥とするか、追肥を一部残すかなど)を調整します。土壌診断結果も考慮し、過剰な成分投入にならないよう慎重に設計します。
- 効果測定と評価: 試験導入した圃場での作物の生育状況、収量、品質、作業時間、肥料コストなどを記録・評価します。土壌診断や水質分析が可能であれば、肥料成分の残存量や流出状況を確認することも有効です。この評価に基づき、本格導入の可否や施肥設計のさらなる改善を検討します。
導入事例のポイント
- 長期栽培作物: 栽培期間が長い野菜や果樹、花きなどで、追肥の手間を省きたい場合に全量基肥での導入事例が多く見られます。
- 水田: 田植え前の基肥として全量施用し、追肥を省略する技術が確立されつつあります。
- 環境保全型農業: 特定の地域や作物において、環境負荷低減を目的に導入が進められている事例があります。
重要なのは、ご自身の栽培環境や目標に合わせて、最適な製品を選び、計画的に導入を進めることです。
費用対効果と利用可能な補助金/相談先
緩効性肥料・被覆肥料の導入は初期コストがかかるため、費用対効果をどのように考えるかが重要です。
費用対効果
- 肥料単価: 確かに単位重量当たりの単価は高い傾向にあります。しかし、施肥回数を削減できれば、それに伴う労働力や機械経費(燃料費など)を削減できます。追肥のたびに肥料を購入・運搬・散布するコストを総合的に評価する必要があります。
- 総施肥量: 適切な製品と設計により、従来の施肥体系よりも総施肥量を減らせる場合があります。この場合、肥料費そのものを抑制できる可能性があります。
- 収量・品質への影響: 生育が安定し、収量や品質が向上することで、販売収入が増加する可能性もあります。
- 環境コストの内部化: 肥料流出による環境負荷を低減することは、将来的な規制強化や環境修復コストの発生リスクを回避することにもつながり得ますが、これを直接的に費用対効果として算出することは難しい場合が多いでしょう。しかし、持続可能な農業への貢献という観点からは重要な要素です。
これらの要素を総合的に評価し、長期的な視点で費用対効果を判断することが大切です。
利用可能な補助金・相談先
持続可能な農業技術の導入を支援するための補助金制度が存在する場合があります。国の「みどりの食料システム戦略」に関連する支援策や、各都道府県・市町村が独自に実施する環境保全型農業に対する補助金などが考えられます。ただし、対象となる技術や要件は制度によって異なりますし、制度内容は常に変動します。
- 情報収集の方向性: 最新の補助金情報は、農林水産省のウェブサイト、各都道府県・市町村の農業関連部署のウェブサイト、JA、農業団体などで確認できます。
- 相談先: 緩効性肥料・被覆肥料の導入に関する具体的な相談先としては、以下の機関が挙げられます。
- 普及指導センター: 地域の気候や土壌に合った技術情報、試験導入の方法、施肥設計に関するアドバイスを得られます。
- 肥料メーカー・販売店: 製品に関する詳細な情報、特定の作物や栽培方法における使用実績、技術サポートを提供しています。
- 農業技術センター(試験場): 地域の条件下での試験研究成果や、より専門的な知見を提供している場合があります。
- JA、農業団体: 共同購入によるコスト削減の可能性や、組合員向けの技術研修などを実施している場合があります。
これらの相談先を活用し、ご自身の状況に合った最適な情報を得るように努めてください。
まとめ
緩効性肥料・被覆肥料の活用は、肥料成分の適切な管理を通じて、環境負荷を低減しつつ、施肥作業の省力化や作物の安定生産を実現するための有力な手段の一つです。初期コストや製品選定の難しさといった課題はありますが、ご自身の圃場や栽培体系をしっかりと分析し、目標を明確に設定した上で、情報収集や小規模な試験導入から計画的に進めることで、これらの課題を克服できる可能性が高まります。
持続可能な農業への転換は、一朝一夕に進むものではありません。新しい技術の導入には不安も伴うことと存じますが、緩効性肥料・被覆肥料の活用が、環境と経営の両立を目指す皆様にとって、一歩前進するための有効な選択肢となることを願っています。まずは最寄りの普及指導センターや肥料メーカーにご相談いただき、情報収集から始めてみてはいかがでしょうか。