生分解性・紙マルチ活用ガイド:プラスチックマルチ代替で実現する持続可能な農業
農業におけるマルチング資材の現状と新しい選択肢
農業生産において、地温の上昇抑制や保持、雑草抑制、土壌水分の保持などを目的としたマルチング資材は広く活用されています。中でもポリエチレンなどのプラスチック製マルチフィルムは普及が進んでいますが、その使用後の回収・処理には多大な労力とコストがかかり、適切に処理されない場合には環境負荷となる課題も指摘されています。特に、圃場に残存したフィルム片は土壌汚染やマイクロプラスチック問題の原因となる可能性が懸念されています。
こうした背景から、環境負荷の低減と持続可能な農業経営の両立を目指す上で、使用後に回収・処理が不要となる生分解性マルチや紙マルチといった代替資材への関心が高まっています。これらの資材は、栽培期間終了後に土壌中で分解されることを特徴としており、プラスチックマルチの課題解決に貢献する可能性があります。
生分解性マルチと紙マルチの技術概要
生分解性マルチと紙マルチは、いずれも使用後の回収が不要となる点が大きな特徴ですが、その素材と分解メカニズムには違いがあります。
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生分解性マルチ: 石油由来または植物由来のプラスチックでありながら、特定の微生物によって水と二酸化炭素などに分解される性質を持つ素材(例:ポリ乳酸(PLA)、ポリブチレンサクシネート(PBS)、ポリカプロラクトン(PCL)など)を主成分として製造されています。製品によっては、これらの生分解性プラスチックに炭酸カルシウムや澱粉などのフィラー(充填材)が添加されています。分解は主に土壌中の微生物の働きによって進みます。分解速度は製品の素材、厚み、そして土壌温度、水分、微生物の活性などの環境条件に大きく左右されます。
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紙マルチ: 木材パルプやリサイクルパルプを主原料とし、必要に応じて耐水性や強度を高めるための処理が施されています。近年では、特定の作物や栽培体系に適した機能性を持たせた製品も開発されています。紙マルチは土壌中の水分によって物理的に軟化し、微生物によって分解されます。一般的に生分解性マルチに比べて分解が早い傾向がありますが、製品の種類や環境条件によって異なります。
環境負荷低減への貢献
生分解性マルチおよび紙マルチの導入は、主に以下の点で環境負荷低減に貢献します。
- プラスチック廃棄物の削減: 使用後の回収が不要であるため、廃プラスチックマルチの発生量を大幅に削減できます。これにより、廃棄物の焼却や埋め立てに伴う環境負荷や、圃場に放置されることによる土壌・景観汚染を防ぐことができます。
- マイクロプラスチック問題の回避: 回収しきれずに圃場に残存したプラスチックマルチ片が風化・劣化して微細化し、マイクロプラスチックとなる懸念が指摘されています。生分解性マルチや紙マルチは土壌中で分解されるため、このリスクを回避できます。
- 回収・処理に伴うエネルギー消費の削減: 回収・運搬・処理(洗浄、破砕、焼却など)にかかるエネルギー消費を削減できます。
- 炭素循環への寄与(紙マルチ): 紙マルチの原料である木材は、成長過程で大気中の二酸化炭素を吸収します。使用後に土壌中で分解されることは、短い炭素循環の一部とみなすことができます。
導入のメリットとデメリット
新しい資材の導入には、期待される効果と同時に考慮すべき点が存在します。
メリット
- 作業効率の向上とコスト削減: マルチの回収作業が不要になるため、労力と人件費、機械費を削減できます。特に大規模経営や高齢化が進む産地で大きなメリットとなります。
- 環境配慮型農業のアピール: 環境負荷の少ない資材を使用していることを消費者や取引先にアピールでき、ブランドイメージ向上や販路拡大につながる可能性があります。
- 土壌環境への負荷軽減: 回収時の残渣発生や、無理な回収による土壌の掘り起こしを防ぐことができます。生分解性マルチの分解生成物が土壌中の有機物の一部となる可能性も指摘されています(ただし、分解生成物の種類や安全性については、製品の認証基準などを確認することが重要です)。
- 特定の雑草抑制効果: 適切に展張されれば、通常のマルチと同様に雑草抑制効果を発揮します。
デメリット
- 資材コスト: 一般的にポリエチレンマルチに比べて資材単価が高い傾向があります。ただし、回収・処理コストを含めたトータルコストでの評価が必要です。
- 耐久性・強度: ポリエチレンマルチに比べて物理的な強度が低い製品が多く、展張時や栽培管理中に破れやすい場合があります。特に硬い土壌や石が多い圃場、風の強い地域では注意が必要です。
- 分解の不確実性: 生分解性マルチの分解速度は土壌環境(温度、水分、微生物相)に大きく依存します。低温期や乾燥期には分解が進みにくく、収穫後も長期間圃場に残存する可能性があります。逆に、想定より早く分解が進んでしまい、栽培期間中にマルチの機能が失われるリスクもあります。
- 適用作物の制限: 栽培期間が長い作物や、特定の栽培方法(例:複数回収穫する作物)には適さない場合があります。製品ごとに推奨される作物や栽培期間を確認する必要があります。
- 専用機械の必要性: 一部の製品は、資材の特性に合わせて設計された専用または調整済みの展張機が必要となる場合があります。
具体的な導入事例と手順
生分解性・紙マルチは、国内外で様々な作物への導入が進められています。例えば、葉物野菜、大根、ニンジンなどの根菜類、イチゴ、トウモロコシ、ジャガイモなどで活用事例が見られます。特に、比較的栽培期間が短く、マルチ回収の手間が大きい作物での導入が進んでいます。
導入を検討する際の一般的な手順は以下のようになります。
- 現状課題の把握: 現在のマルチング作業(展張、管理、回収、処理)における具体的な課題(労力、コスト、環境問題)を整理します。
- 情報収集と資材選定:
- 対象作物の栽培期間、栽培方法に適した生分解性・紙マルチの製品情報を収集します。
- 製品ごとの素材、厚み、耐久性、分解特性(特に分解速度や必要な環境条件)、実績などを比較検討します。
- 可能であれば、試験栽培や導入農家の声を聞くことが重要です。
- 圃場準備:
- 圃場の土壌条件(土性、石の有無、排水性)を確認し、必要に応じて土壌改良を行います。
- 生分解性・紙マルチは展張時のシワやたるみが破れの原因となるため、丁寧な整地が重要です。
- 展張:
- 製品の特性に合った展張機を使用し、適切なテンションでシワなく展張します。風の影響を受けやすいため、風の弱い時間帯を選ぶ、しっかりと鎮圧するなど工夫が必要です。
- マルチ端部の土かけは、風による剥がれやバタつきを防ぎ、分解を促進するためにも丁寧に行います。
- 栽培管理: 栽培期間中は、マルチの破れに注意しながら管理を行います。破れた場合は、土をかけるなどで対応します。
- 収穫後の処理: 栽培終了後は、マルチを圃場にすき込みます。製品によっては、すき込み前に一定期間、土壌表面で分解を促進させる必要がある場合もあります。
費用対効果、補助金、相談先
生分解性・紙マルチの導入にあたっては、資材費だけでなく、マルチ回収・処理にかかっていた労力やコストの削減分を含めたトータルでの費用対効果を評価することが重要です。初期の資材費が高くても、後工程のコスト削減や環境配慮型農業による付加価値向上によって、経営全体のメリットが大きくなる可能性があります。
導入を支援するための補助金制度が利用できる場合があります。国、都道府県、市町村、農業団体などが環境保全型農業や持続可能な農業技術の導入を支援する事業を行っていることが多いため、お住まいの地域の情報を収集することをおすすめします。例えば、環境保全型農業直接支払交付金や、各自治体独自の助成制度などが挙げられますが、制度内容は変更される可能性があるため、最新の情報は公的な窓口にご確認ください。
導入に関する疑問や不安については、地域の農業改良普及センターや農協の技術指導員、資材メーカーの担当者、農業試験研究機関などに相談することができます。これらの機関は、地域の気候風土や栽培体系に適した資材の情報提供や、導入事例の紹介、試験栽培に関する助言など、実践的なサポートを提供しています。
まとめ
生分解性マルチや紙マルチは、プラスチックマルチの使用に伴う環境負荷や回収・処理の課題を解決するための有効な技術的選択肢です。これらの資材を導入することで、環境負荷を低減し、持続可能な農業経営に貢献できる可能性があります。
一方で、資材コスト、耐久性、分解特性など、導入にあたって考慮すべき点も存在します。ご自身の経営規模、対象作物、栽培体系、圃場条件、そして地域の気候などを踏まえ、メリットとデメリットを十分に比較検討することが重要です。
情報収集をしっかりと行い、必要に応じて専門機関に相談しながら、試験的な導入から始めることも有効な方法です。新しい技術を賢く活用し、未来につながる農業経営を目指していただければ幸いです。